■対談『反貧困』の著者、湯浅誠氏とビッグイシュー日本代表の佐野章二氏
「誰もが生きる喜びを感じる社会を目指し、貧困を真剣に考えよう」
パルシステムセカンドリーグは、3月12日(木)、情報誌『のんびる』5月号に掲載する記事の公開インタビューを行いました。
『反貧困』の著者、湯浅誠氏(NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」事務局長/「反-貧困ネットワーク」事務局長)と雑誌『ビッグイシュー日本版』を発行する(有)ビッグイシュー日本代表の佐野章二氏の対談の会場、パルシステム連合会新大塚分室には、組合員や役・職員約90名が集まりました。
■貧困問題に取り組むようになった経緯は?

湯浅 誠(ゆあさ まこと)1969年生まれ。評論家、「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」事務局長。東京都出身。 |
当日の司会は、『のんびる』アドバイザーの前田和夫氏((株)同文社代表取締役)が務めました。
両氏はまず貧困問題に取り組むようになった経緯について話されました。
湯浅氏は「1995年に新宿や渋谷で野宿の現場を見たことがきっかけです。当事は、専門に活動する人もいなかったのですが、2001年に立ち上げたNPO法人もやいには、最近ホームレスだけでなく、ネットカフェ難民やアパートの住人まで相談に来るようになりました。サブプライムローンやリーマンショックに端を発するこの間の不況で、“雇用とセーフティネット”というテーマは社会のメインテーマとなりました。その起爆剤となったのは、年越し派遣村(※)でしたが、社会構造の転換を促すような活動として広めていきたいと思っています」と話しました。

佐野 章二(さの しょうじ)1941年生まれ。2003年5月よりビッグイシュー日本代表・CEO。同年年9月にホームレス支援雑誌『ビッグイシュー日本版』を創刊。大阪府出身。 |
新宿、渋谷など東京の代表的繁華街で、野宿者やホームレスの人々と接し、活動を続けてきた湯浅氏は自らを野宿・貧困問題の“第一世代”と称していました。
一方、大阪で生まれ育った佐野氏。2003年当時、全国で約2万5000人といわれたホームレスの1/4が集まっていた大阪で、「毎年3ケタの野宿者が凍死する現実を見て『なんとかしたい』と思ったことがきっかけです」とのことでした。
佐野氏は、2001年頃から準備を始め、2003年9月にホームレスの人々が収入を得る機会を作るため『ビッグイシュー日本版』をスタート。「口こみで広がった3万人の素晴らしい読者にささえられ、街角でビッグイシューを売るホームレスの人々の自立を支援してきました。ホームレスの問題は、見て見ぬフリをしたり、本人の責任にするのではなく地域や都市の問題として捉えていくこと必要です」とアイデアや発想次第でホームレスの人々の仕事を作り、社会参加が可能と熱く語りました。
■貧困に陥る原因とは何か?
湯浅氏は、「貧困とは「溜め」がない状態です。お金だけでなく、人間関係や自信などの「溜め」も無い状態。背景には、効率主義で競争社会の“溜めの無い社会”があります。効率や能力だけで評価されない多様な「場」を作り、その場所を貧困への防波堤として機能させることが必要です。派遣村やNPOもやいの活動もその一例なのです」と語りました。
佐野氏はホームレスになる3つのケースについて説明しました。
1.高度経済成長期を担った多数の日雇い労働者が職を失った場合
2.住み込みで働いていた人が職と住まいを同時に失う場合
3.リストラにあった場合
最近は、さらに「派遣切りにあった人」も加わっているとのことでした。
■組合員、『のんびる』読者へのメッセージ
最後に、パルシステムの組合員、『のんびる』読者へのメッセージとして佐野氏は「家や学校といった伝統的なコミュニティが崩壊してしまった今、地域社会に新しい多様なコミュニティを作ろうとしている生協の存在は大きいと思います」
湯浅氏は「企業は消費者の方を向いています。労働者として消費者として、当事者としてのパワーを自覚し主張すべきことは主張して、力を発揮して欲しいと思います」と述べました。
当日は、この他に「お互いについて」「マスコミとの関係や付き合い方」「政治家との関係」「活動の課題」などのさまざまなテーマで熱い議論が交わされました。質疑応答では時間を延長するほど、多くの質問が寄せられました。

会場の様子(パルシステム連合会 新大塚分室) |
■公開インタビューは『のんびる』5月号に掲載します
熱気に満ちた公開インタビューの様子は、パルシステムセカンドリーグが発行する地域活動応援誌『のんびる』5月号にてご覧いただけます。
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