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掲載日:2011年9月9日

職員71名を派遣し「水産メーカー視察・研修会」を実施
「食べることでの支援」の必要性を実感しました
パルシステム連合会は9月1日(木)、2日(金)の両日、パルシステムグループおよび物流委託会社職員を対象に「水産メーカー視察・研修会」を実施しました。両日あわせて71名の職員が参加し、被災と復興への状況を現地で学びました。

■肌で感じ伝えることが目的です

バスから被災状況を眺める職員

 東日本大震災では、三陸地域を中心に水産加工メーカーが大きな被害を受けました。パルシステムでは、役職員が直接メーカーを訪問し見舞金を手渡ししたほか、商品を利用すると代金のうち一定額を支援金として直接メーカーに支払う「“食べる”で支え合う」を呼びかけるなど、復興、復旧へ向けた支援活動に取り組んでいます。

 「水産メーカー視察・研修会」は、支援活動の一環として震災の被害にあったメーカーを直接訪れ、状況を把握するとともに配達などを通じてできるだけ多くのみなさんへ伝えることを目的に実施しました。対象は、配送センターに勤務する生協職員および配達を委託している運輸会社職員が中心で、9月1日(木)34名、2日(金)37名のあわせて71名が宮城県内の水産メーカーを訪問しました。


■店舗に足を運んでいたら逃げられなかった

かね久海産須田専務(左端)

 視察・研修会はまず、移動の車中内でパルシステムの水産商品に対する取り組みと三陸地域の被害状況について概況を学習しました。地震に伴う津波では、報道のとおり多くの漁船が陸地まで流されましたが、そのほか漁港、市場、食品加工施設、養殖施設なども多くが被害を受けています。北海道から千葉県にかけた7道県は、全国の漁業生産量の5割を占めており、水産業全体に与える影響の大きさが説明されました。

 最初に到着した宮城県南三陸町のかね久海産は、PB「三陸産わかめ」などを製造しています。津波被害を免れた工場で、須田三千男専務が当時の状況などを語りました。かね久海産は、津波により海岸に近かった自宅と加工場4棟はすべて流されてしまいましたが、幸い、従業員は全員無事でした。「私も店舗内に足を踏み入れていたら逃げるタイミングを逸していたと思います」と振り返ります。

 現在は、2010年に建設した工場、冷蔵施設で加工を続けています。工場事務所の一角には店舗を設置し、営業を再開しました。商品は、三陸産の原料がないため当面は韓国産を輸入し加工していますが「養殖も再開を始めており、来年には60%程度まで戻るのではないでしょうか。みんな頑張っています」と話してくれました。


■はじめは生温く次に凍るほど冷たい水が

山田商店の山田常務

 次の移動先までは、「三陸産のカキフライ」などを製造する山田商店の山田晴規常務を招き、バスの車内で語ってもらいました。山田常務は「地震直後、20分ほどは何も考えられないまま海を見ていました。はじめは海に変化が見られませんでしたが、そのうち海が黒く盛り上がってきました」と、当時の状況を述べました。

 工場には予想しない方向から津波がきたそうです。「はじめは真っ黒で生ぬるい水でしたが、そのうち頭の先まで凍りそうな冷たい水になってきました。なんとか逃れることができ、2階へ避難すると船や家がすごい勢いで流されていました。『うちに水が入るくらいなら石巻は全滅だ』と話していた祖父を思い出します」。

 石巻の工場は、生ガキ5t、冷凍カキ70tがすべて流され、途方にくれていましたが、パルシステムの役職員が見舞いに訪れ「『商品をつくったらぜひ取引したい』と言ってくれたことは、夢をみているかと思うほど温かい言葉でした」と話してくれました。

 現在は韓国から原料を仕入れ、製造再開へ準備しています。山田常務は「間違いない商品をつくります。稚貝養殖の漁場(万石浦)は比較的被害が少なかったため、早期の回復が期待されています。当面は数量が少ないかもしれませんが、できる限り商品を届けたいと思います」と抱負を述べました。


■カタログに掲載されることを心の支えに

水野専務(中央奥)

 次に到着した石巻市の水野食品は、組合員が開発に協力した「銀だら西京漬け」「サンマみりん干し」などを製造しています。工場では、製造再開へ向けた工事が進められている最中でした。水野茂専務は「被災直後の見舞金をはじめ、これまでの支援を非常にありがたく感じています」とお礼を述べました。

 工場のあたりは海岸を造成したため地盤が弱く、地盤沈下の上下だけでなく横にも地面が動いてしまったそうです。津波では「1階は何も残らないといっていいほど」(水野専務)さらわれてしまいましたが、コンピュータやフリーザーなど高額な機械は2階に設置していたので無事でした。

 現在、9月下旬の工場完成をめざし復旧作業を進めています。水野専務は「通常は実際に商品を見てから取り扱いを判断するところですが、現時点で取り扱いを約束してくれたパルスステムには感謝しています。商品が再びカタログに掲載されることを支えにしています。少しでも早く製造を再開し『よかったな』と思われる商品をつくりたいです」と話しました。


■被災地を忘れず生活再建に貢献します

あいコープみやぎ多々良専務

 最後の移動車中では、あいコープみやぎの多々良哲専務が当時の状況を振り返りました。震災では電気、ガス、水道だけでなく電話まで不通となりましたが、配送職員は全員配送を終えて帰着しました。届けられた商品は後ほど食べつなぐための食料となり、組合員から大きな感謝をされたといいます。

 当時は、深夜になっても戻ってこなかった職員が2人いました。「探しに行きたい」と訴える職員を抑えきれず、2人1組で探しに行ったそうです。「テレビも映らず、震災の実態を十分把握できませんでした。津波の被害にあった場所は、本部から10分も走らない場所でした。テレビには映らない光景もたくさん見ました。当たり前ですが、車の中には人もいるということです」(多々良専務)。

 その後、帰着しなかった職員は、1人がヒッチハイクを繰り返し、もう1人は徒歩で無事帰着しました。事業再開は4月1回に24品からの再スタートでしたが、組合員からは「本当に注文していいの」といわれるほどありがたがられたそうです。多々良専務は「津波被害や地震被害のあるなしで、宮城県内には格差が広がっています。被災地を忘れず、生活再建に貢献する活動を続けなければいけないと感じています」と継続的な支援の必要性を語りました。

 最後に参加した職員から「テレビや新聞では伝わらないことを感じました」「職員だけでなく、組合員のみなさんにも伝えたいと思います」「決して忘れないよう、聞いたことや感じたことを記録しておきます」などの感想が聞かれました。


店舗跡に掲げられたかね久海産新店舗の案内看板

水野食品では復旧工事が進められていました


津波の海水により森の枯れ木が目立ちます(南三陸町志津川地区)



【参考】

“食べる”で支え合う(産直いきいきコミュニティ内)

被災した65団体に見舞金1,440万円を進呈しました(8月19日 ニュース)





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