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掲載日:2008年9月30日

浅野史郎氏講演会「地域社会の現状と福祉、その再生に果たす生協の役割」を開催しました
パルシステムは9月26日(金)、東京都文京区の茗渓会館にて、元宮城県知事で慶応大学総合政策学部教授、NPO法人 地域創造ネットワーク・ジャパン代表理事の浅野史郎氏をお招きし、講演会「地域社会の現状と福祉、その再生に果たす生協の役割」を開催しました。

 9月26日、浅野史郎氏の講演会に、パルシステムグループ、関連会社役・職員、組合員など115名が出席しました。浅野氏は、1987年からの厚生省障害福祉課長在職中に、障害福祉の仕事と出会い、「これがライフワークである」との思い抱きました。1993年から12年間の宮城県知事時代より、慶応大学総合政策学部教授を務める現在まで一貫して、障害福祉が同氏の人生の一大テーマとなっていること、またその実情、生協への期待などについてお話いただきました。


■生協と住民参加型福祉サービス

テレビのコメンテーターとして
もおなじみの浅野史朗氏

 開会にあたり、パルシステム連合会の若森資朗理事長は「浅野氏は、厚生省社会局生活課長在任中の1990年、パルシステム(旧首都圏コープ)が事業連合としての法人認可申請を行った際に大変お世話になった恩人です。

 パルシステムは、現在、より社会に役立つ21世紀型生協をめざし、2020年ビジョンを策定中です。今日のお話を参考にしたいと考えます」と挨拶しました。

 浅野氏は、まず「1989年に厚生省社会局生活課長に就任した際、前任者から『生協には無限の可能性がある』と言われたことが生協における福祉、住民参加型福祉サービスについて考えるようになったきっかけです」と話されました。

 生協の住民参加型福祉の実態調査をすすめるうち、灘神戸生協(現コープこうべ)の有償ボランティアやコープさっぽろの自宅訪問サービスなどの事例を知ったとのことです。20年前は、福祉といえば施設福祉が主で、在宅福祉という形が出てきたことに感慨深い思いがあったそうです。

 またボランティア元年といわれる1995年の阪神淡路大震災が、団塊世代の社会デビューを考えるNPO法人 地域創造ネットワーク・ジャパンを創るきっかけになったとのことでした。

 「ボランティアの語源は、志願兵ということで、自発的にすること。やむにやまれぬ心の動きです。

 生協の運動が目指している“心豊かなくらしと共生の社会の実現”と共通するものがあると思います」とのお話でした。


■キーワードは「非専門家」と「地域の底力」

満員の会場(茗渓会館)

 浅野氏は、宮城県知事だった2004年に「宮城県知的障害者施設解体宣言」を行いました。「宣言は、2002年に当時の宮城県福祉事業団理事長の田島良昭氏が行った宮城県最大の重度知的障害者施設、『船形コロニー解体宣言』の考え方を継承し、入所者が2010年までに段階的に施設を出て、グループホームなど地域で生活することを目的としたものです。入所者の声なき声を聞いた、職員の発案で行われたものです。

 これは施設福祉から地域福祉への転換といえます。専門家ではない地域住民の底力によって成り立つ福祉の形です」とのことでした。

 また厚生省勤務時に見学した知的障害者更正施設「朋(とも)」(横浜市栄区)について言及し、「開所前には、高級住宅街にはふさわしくない施設と地域住民の反対もありました。今ではボランティアとして地域住民が真っ先に駆けつけ、近隣の中学から感謝状が送られるほど、地域に溶け込んだ存在となっています。これも非専門性、地域の底力が生きた例です」と、感動の体験を披露されました。

 また、運動論として「防犯でいえば、地域住民の散歩の時間を学童の登下校の時間にあわせてもらうといった、ささやかなことから始めるのもよいのではないでしょうか。生協が、環境や農業といったことに関心のない人たちにも運動を広げていくためにも、大上段から理念を掲げるより、食の問題などまずは身近なことをアピールし、ハードルを低くしておくことが必要でしょう」との提起がありました。


■生協ができる福祉活動とは?

 質疑応答では、参加者からの「障害福祉をライフワークと感じたきっかけは?」との問いに対し「障害福祉の仕事が、人間の存在とは何かを考えさせる私の魂の深みに触れる仕事だったからです」

 また、「具体的に生協は、福祉にどう関わっていったらよいでしょうか?」との質問には、「生協は、消費者と生産者が、生活者というところで繋がっている点で、“非専門家、地域の底力”活用のモデル事業になりえると思います。ヤマト運輸がクロネコメール便配達に障害者を雇用していること、ユニクロが1店舗に最低一人障害者を雇用し、全従業員の7.6%雇用を達成していることを例に挙げ、「例えば生協でも障害者雇用なども考えられるのではないでしょうか」との提案がなされました。

 講演90分、質疑応答50分の長丁場でしたが、浅野氏のユーモアたっぷりの熱い語り口調にひきこまれ、参加者は熱心に聞き入っていました。


【浅野史郎氏プロフィール】
 1948年生まれ。宮城県仙台市出身。東京大学法学部卒業後1970年厚生省に入り、社会局老人福祉課課長補佐、在米日本大使館一等書記官、年金局企画課課長補佐を経て、1985年北海道庁福祉課長。ここで障害福祉の仕事に初めて出会う。1987年9月厚生省障害福祉課長。たくさんの仲間と出会い、「障害福祉の仕事はライフワーク」と思い定める。
 23年7ヶ月務めた厚生省を退職し、1993年宮城県知事選挙に出馬、当選。以降3期12年にわたり知事職を務め、福祉分野での改革、情報公開度ランキング日本一など、透明度の高い県政を実現。また、一般競争入札導入により公共事業の談合の一掃に尽力。趣味はジョギングで、在職中はジョギング知事と呼ばれた。 知事職退任後は、宮城県社会福祉協議会会長(2005年4月〜2007年3月)、東北大学客員教授(2005年12月〜2007年3月)、社団法人日本フィランソロピー協会会長(2005年12月〜)を務める。現在は 慶応義塾大学総合政策学部教授(2006年4月〜)として教鞭をとる。また、テレビにコメンテーターとして出演している。





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