志のぶかあちゃん産地だより

看護士の資格をとるため学校に通っていたときに夫と知り合ったのですが、農家ということで結婚に反対され、また自分としては看護士にはなりたいし、両立できるだろうか…と迷っていました。そしたら祖母から、「勤めながらできる仕事じゃない」ときっぱり言われたんです。祖母は私の甘さや、勤めながらでは大変になることがわかっていて、あえて言ってくれたんだと思いますが、そのひとことで目からうろこが落ち、「りんご」をやることを決心しました。でもそれからは夫や夫の両親から、手取り足取り教わりながらの毎日。私がいちばん最初にした作業は5月の花摘みでしたが、「なぜこんなにかわいい花を摘んでしまうの?」「こんなに摘んでいいの?」と不思議さでいっぱいでした。りんごの産地に生まれ育ちながら、じつはなんにも知らなかったんですよ。
そんな私も、りんごに携わり20年になりますが、毎年同じ作業の繰り返しなのに、天候や陽気などの違いでこうも違うものかとため息をつくぐらいむずかしいです。「去年はスムースにできたのに今年はなんでこんなに迷うんだろう…」と、もどかしくなることもしばしば。夫は30年以上やっていますが、樹と話ができると言います。樹が望んでいる手入れをすればいいんだと! いいえ、なかなかできません。りんごに関して夫には信頼と尊敬をしていて、この樹で糧を得てきたんだ…と感動しています。
9月から12月くらいの出荷の時期は、その時期の記憶がないくらいの忙しさです。子どもたちは何を言っても聞いてもらえないと自覚していて、参観日などのお知らせの紙を見せなかったほど(笑)。冬になると雪のなかで、父ちゃんたちが剪定した丸太や枝の片付け、病気の樹の手入れなど、一日中前屈みでの作業が続き、つい弱音を吐いてしまうこともあります。でも、樹から命をいただいているという思いで一生懸命、愛情込めて手入れし育て、組合員さんに送っています。みなさんには、そういうりんごだということを知っていただけたらいいなあと思っています。
娘3人は、いまのところ家を継ぐ気はないようです。私の本音は、毎年大事に手入れし、それに応えるように実をつけるりんごの樹を失いたくないのですが、こればかりは強制できません。でも、3人ともりんごのおかげで大きくなった、この土地が好きだという思いはあるようです…。私たちもいまはまだ元気ですが、先々はやはり不安。アップルファームさみずでも後継者がいるところは3軒くらいで、何かいい方法はないかと女性部でも話題になるほどじつは深刻な問題なんです。
2008年2月に開催予定の第6回の女性生産者交流会は、長野県内の産地が準備や企画の担当です。現在、サンファームさん、青木農園さんの女性生産者といっしょに準備しています。その関係ですごく大切な仲間ができました。それまでは同じ県内ながらもまったく知らなかったのに、パルシステムを通じて知り合い、この2年の準備期間中、いろいろな話や論議もし、葛藤や腹のさぐりあいもありましたが、それだけ仲間意識が強くなったようにも感じます。ひとりはつらいですが、みんなでやろうと思えば元気も力もわいてくる。心強い、また支えてくれる仲間たちに感謝!とともに、これからもよろしく!という思いでいっぱいです。
〈産地紹介〉
長野県北端の斑尾山南麓に広がる丘陵地帯にあり、標高の高さや日照時間の長さ、降水量の少なさなど果実栽培に適した地域です。病害虫に対しては著しい被害がない限り農薬を最低限に抑え、やむを得えない場合でも総量を減らす努力をしています。また、害虫の総量を減らすため交信錯乱剤の設置を地域の中核となって進めています。施肥も土壌検査に基づき設計するなど、環境にできるだけ負荷をかけない土づくりを心がけています。