理恵子かあちゃん産地だより

米づくりとのかかわりは私の場合3段階。今から23年前は、夫の実家に戻ったばかりでまったくの素人手伝い状態。18年前は、親から農業に関する経営を任され、そちらで奔走。栽培に本格的にかかわり始めたのは実は13年前で、農協の夜間講座や生育調査に参加しながら勉強しました。いま考えると、苗づくりは、最初のころのほうが基本に忠実にやっていたので、いい苗ができていたような気がします(笑)。天候まかせ、自然まかせの農業ながら、「百姓は財産を外に投げ出しているようなもの」との近所のおばちゃんの言葉には、そこまでの境地にはなれないとびっくりしたこともありました。
減・減や有機栽培を始めるきっかけは、環境問題に少し関心があったため。最初はわが家の田んぼの一部で始めたのですが、本格的にやるには集落でまとまる必要があり、少しずつ声をかけていきました。堆肥で育つわが家の稲の姿が違っていたのか、やろうと言ってくださる方も増え、現在、私の集落は7件。有機栽培は8年くらいですが、仲間の一人が、「うちはわずかしかやってないけど、ちょっとは環境保全に貢献してるかな」って言ったのが印象的です。
JAささかみは現在、ちょっとした転換期に来ています。ささかみは、ごく普通のお百姓さんが、減・減栽培だの有機栽培だのをやってしまっているところ(JAささかみ管内の稲の作付面積1500ha中、690ha)が最大の長所。これは、JAささかみの推進力以外のなにものでもないと思いますが、その反面、生産者はそれにのっかっていればいいので、なかなか意識は向上せず、これがささかみの抱える問題だと思っています。農協主導型から生産者主体の組織への転換が必要であり、それは、JAささかみが築きあげてきたものを、私たち生産者がわずかずつでも自らの手で再構築していくことだと思っています。2007年4月には、これまでの特殊栽培米研究会から、ささかみ米(まんま)産直部会へと組織変えしました。これからが私たち生産者の力量が試されるときだと思っています。
ささかみ米産直部会でも、引き続き副会長をやります。副会長の話しは、前の組織のとき夫に来たのですが、夫が「うちのかあちゃんにやらせたほうがおもしろいよ」と言ってしまったばかりに私がやるはめに…。(笑)米農家はまだまだ男社会で、部会で女性は私だけですが、会長とは「とにかくおもしろく楽しくやろう」と話しています。見守っていただけたらと思います。
食事したり、仕事をするときにいつもいる場所から、わが家の有機の田んぼが見えます。あるときは大きな夕陽が沈むのを、あるときは白鳥が落穂をついばむのを、あるときは青々とした苗が風に踊っているのに出会います。私はいまささかみで、自然、人、生き物…ささかみ地域に棲息するあらゆるものとのかかわりを持った生活をしていますが、農業者は農業を媒介として、自分たちの生活の場・地域社会を豊かな郷土にしていくことができるのだろうと考えています。
〈産地紹介〉
1994年の合併以前、JA笹岡時代の1978年からパルシステム連合会と産直の事業と交流を続けており、環境を保全し持続可能な食料生産をめざす環境保全型農業、資源循環型農業へと発展しています。1989年には特別栽培米研究会をつくり、JAささかみのある旧笹神村は1990年に、農業の未来を切り開くため「ゆうきの里ささかみ」宣言を行いました。また翌年竣工した笹神村ゆうきセンターでは、農家から持ち込まれたモミガラで堆肥を製造しそれを使用するなど、稲作を主体として環境保全型農業に取り組んでいます。1996年には第1回全国環境保全型農業推進コンクールで、農林水産大臣賞を受賞しました。
パルシステムとの産直&交流の歴史
◆1983年8月 |
第1回サマーキャンプ開催 |
◆1984年12月 |
青刈り稲を利用した「しめ飾り」の産直供給開始 |
◆1988年 |
第1回田植えツアー、稲刈りツアー開催 |
◆1988年10月 |
特別栽培米の産直開始 |
◆1999年 |
『theふーど』の完全無農薬・完全有機の栽培開始 |
◆2000年 |
JAささかみ、笹神村、パルシステムの3者で「食料と農業に関する基本協定」を締結し、公開確認会も開催 |
◆2001年 |
無農薬・無化学肥料の米でつくった酒『ささかみ風土』製造開始 |
◆2002年 |
地場産大豆を用いた『うめてば豆腐』製造開始 |
◆2004年 |
循環型社会づくりに向けて、「田んぼの生きもの調査」を行う |