――北総大地の恵まれた土地条件に生きる
銚子方面は海沿いの温暖な気候のなかで、真冬でも霜が降りないことから、銚子の「春キャベツ」は古くからブランドになってきたほか、旭地区は広い水田と施設栽培の農業が盛んであり、干潟町もミニトマト発祥の地として知られています。
和郷園の本部がある山田町は北総台地の肥えた土壌で、どんな作物でもできることから、根菜類を主体とした土地利用型農業が盛んで、労働力を機械化できる作物を早くから導入した地域です。和郷園はそうした3つの代表的な地域をエリアとし、約80軒の生産農家で農事組合法人として出荷組合を形成しています。
――若手専業集団としての和郷園
 |
 |
 |
焼肉用サンチュの施設栽培にも積極的に取り組んでいる。 |
和郷園は専業農家だけの集団として、20代から30代の若手生産者70軒が、参加メンバーの9割を占めます。現在のメンバーが農業を始めたのは、バブルの中盤から終わりの時期。その当時の時代の価値観としては「3K」がいわれ、「その当時の価値観では農業は3Kにも入らなかった」と木内さんは話します。この時代に担ったメンバーでつながり、コミュニケーションをとって協業したのがきっかけで生まれたのが和郷園です。それが今から12年くらい前の頃で、最初は数人の仲間で横浜方面にトラックで引き売りしたことから始まったと言います。
その当時は産直がまだ物珍しい時代で、流通も間が入りすぎて複雑な形態でしたから、消費者ニーズなり、小売りでのニーズを敏感に感じて生産しなければならないと考えました。消費者や小売りと直接取引きしたいと地元の同級生はじめ地域の7人でのスタートでした。
今は地域のなかで和郷園が「農業のひとつの事業として認知されているので、社会的責任もあるけれど、社会的に評価があり、システムとして活動しやすい」と木内さんは話します。「システムのひとつはルール。ルールが前提になって、年齢に関係なくお互いにビジネスをしています。年齢はまったく関係ない」と明快です。年齢が若いがゆえにあることとすれば、やることが早く、思いついたらすぐやること、その点はいい面と木内さんは評価しています。現在、和郷園の生産者一戸当たり、平均の耕作面積は、施設栽培中心の農家で1500坪くらい、露地栽培の農家は5ヘクタールくらいで、施設栽培の場合、千葉県平均の700坪に対して倍の耕作面積を営んでいます。
――母親を通じての農業との出会い
木内さんが農業を目指そうとしたきっかけは、お母さんの偉大さを痛感したことが大きかったと言います。大学を卒業した後、家業である農業を手伝っていましたが、お母さんとふたりで人参の間引き作業を一緒に腰を曲げてやるのはとても辛かったと言います。いままでお母さんひとりでやっていたことが、自分が手伝うことでいきいきとするお母さんの姿を見ながら、これまでひとりで農作業をやってきた母親のすごさに感謝したと話します。そのお母さんの姿を通して、経済的な対価がきちんと評価され、きちんと給与として払える経営を自分でしようと、農業と正面から向き合うことになりました。
生協との出会いはいまから8年ほど前、農業を選んで何年かやってきて、自分なりにやりたい農業を考えていた時に首都圏コープとの取引きが始まったと振り返ります。
その当時を振り返りながら木内さんは和郷園の目的をこう語ります。「ひとつは、農業者が知恵をつけるべき。これからは農家が直接、消費者に売るという時代になる。必要とされなければなくなってしまう。そのための新しいサービス業として和郷園は形を変えていくべき」。
「農家は作るだけでなく、作ったものを「表現」する=“売る”ことを若いうちに身に付けておくべきであり、和郷園はそれをやりたかった」と話します。「生協の会議で消費者から聞いた意見、各作物の動向などを通して気がついたことを、自分の農場にリターンさせていくことが成長」だとも。
――川上からの“中抜き”としての冷凍工場
2003年春、和郷園は、自分たちで生産した野菜を自分たちの手で製品化する冷凍工場を作り、本格稼働させました。このことも木内さん流に言えば、川上の生産者が川下の分野にひとつ近づいてきたということでしょう。さらに木内さんは、「農家は最終的には自立すべき。最終的には和郷園を通さなくとも自分で売るべきだ」と語ります。現在の和郷園も、「生産者が必要としていればの組織。必要ないとなれば組織にとらわれない」と語ります。
冷凍工場について、工場を作った理由をこう語ります。「ひとつは、これからは生協なり相手先との契約生産が主流になるでしょう。ところが受注に応じて供給していくシステムでは、ちょうどいいタイミングで供給できているかと言えばできていない。ちょうどいい大きさ、美味しいほうれん草と思っても、まだ成長が足りないのに供給しなければならない」と。いい状態で供給しようとすれば、必要とされる量の3倍くらいの作付けが必要であり、それでは供給した残りを何か加工にというのがきっかけでした。
――いまこそ旬産旬消を!
 |
 |
 |
冷凍工場で作られる和郷園ブランドの冷凍野菜。「旬をいかして、新鮮さと安心を閉じ込めました」がコンセプト。 |
もうひとつは、いままでの日本の農業では旬の時期は栽培も容易で、農薬もほとんど必要なく最小限で済むということです。そのことは、時代のなかで求められる安全・安心にも適うものです。最小限の農薬で済む旬の時期に旬の作づくりをすることこそ安全性を含めて最も合理的だと語ります。
「いままでの日本の農業は、むしろ旬の時期を外して、まったく正反対の時期にその野菜を作ることに目を向けてきたのではないか、青果で同じ野菜を一年中食べるということが、本当に安全で美味しいのか」と木内さんは疑問を投げかけます。それでもいまの消費者の消費スタイルのなかでは、旬でない時期にも食べたいという要望はあり、その時にどういうものがいいかと考えたときにぶつかったのが冷凍工場だったと言います。和郷園では、旬以外の時期には、その時期の美味しさをシーズンパックして冷凍でお届けしたいという考え方。工場でも、次亜塩素酸を使用しないなど、洗浄、殺菌方法にも品質を大切にしているばかりでなく、何より、ほうれん草はほうれん草の旬、小松菜は小松菜の旬の時期にしか作らないという徹底したこだわりがあります。「クオリティーの高いものを作る」をテーマに、原料に旬の原材料しか使わない「小ロット・多品種」の「多様化工場」を合言葉として、秋のブロッコリー、冬から春の小松菜、ほうれん草、夏場には大和芋、枝豆、とうもろこしとラインナップを整え、この冬から冷凍工場は本格稼働に入ります。
――和郷園はどう生き抜いていくか
 |
 |
 |
自前の堆肥センターにて。和郷園のパッケージセンターで出る食品残さはすべて堆肥に還元される。 |
意欲的な事業の組立てを行っている木内さんに、5年後、10年後の近未来をどう描いているか、うかがいました。木内さんは、いまの問題は、まずどの尺度で見ているかとし、最初の問題として、生産と消費のいびつな構造やオーバーストアの問題を挙げます。世界のどこへ行ってもない日本だけの問題として、日本の流通業、中食産業、外食産業などを挙げ、どれをとっても、すでに大量に消費させるという発想の域をはるかに超えていると指摘します。もうひとつ、食料自給率をめぐっては、飼料作物の大半を輸入に依存して、穀物自給率に繰り入れている矛盾にふれ、大豆などは、アメリカでの大量生産型がピンポイント的に日本国内に輸入されているが、いま、農水省のもっている補助金の百分の一でも千分の一でも補助金を回せば、大豆は北海道でも東北でもどこでも生産できると言います。
さらには、何よりも日本の農産物のおいしいことを木内さんは挙げます。見た目、かたち、規格、それに安全性と安心が加わったら、近い将来、日本の農産物は輸出作物にもなっていくと木内さんは語ります。すでに和郷園では、生産した野菜を香港に輸出しており、冷凍野菜も計画中ということです。日本の野菜は、高品質で輸出競争力があること、高品質は日本ブランドとしてあらゆる分野に差別化できること、だからこそ生産者は自ら自分で生産したものを販売する知識を身につけていかないと販売する機会を失い、落伍していくと警鐘を鳴らします。
現在、和郷園では、毎月二人ずつ、メンバーを中国に研修に出しており、今後はオーストラリアへの研修も計画していると語ります。「自分たちの目で見て、自分たちの将来性を自分のなかで創造したい」と力強く語る木内さんの言葉に、いつの時代もチャレンジする若者のひた向きな姿勢と、日本の農業の将来に対する一すじの道を感じ取った出会いでした。
|