大好きな農作業だけに埋没しないよう 東京の大学に進学しそのまま就職したけれど、このままでは自分がだめになると思い半年くらいで逃げ帰ったという無さん。農業だけにどっぷりつかるのではなく、いろいろなことをやってみたいと模索中。でも、農業の先輩たちからは、まだ勉強も修行も足りない! と叱咤激励されているとか。発展途上の悩み多き青年の声を伺いました。 片山 無さん
僕は東京で就職したのですが、自分の必要性がなくなっていくような危険を感じ、半年くらいで戻ってきました。そして天歩塾に入り、尊敬できる研修生に出会いました。その人は、今ではちゃんと百姓になり長野でがんばってますが、やりたいこともきちっと持っていて説得力がありました。憧れて僕もここで農業をやっていこうと決めました。 僕の主な仕事は、天歩塾のスタッフ兼野菜と堆肥をつくること。堆肥は畜産農家から屎尿をもらいつくります。つくるのは大好きですが、野菜は試行錯誤でやっていることもあり、失敗続き。もっとしっかりとした計画を立ててやるようにといつも大津専務から言われ、明日からは合宿させられます。 悩みは仕事に追われていること。だから自分や組織にあった適正規模については真剣に考えます。農業以外のこと、絵画や音楽鑑賞、旅行、近所のおばちゃんに伝統の狩浜がすりを教わったり、地域の子どもと遊んだり、地域の人と酒飲んだり、行事に参加したりもしたい。僕の地域はおもしろいものをまだまだ発見できます。普通の人たちの普通の生活のなかに、経験や知恵、伝統、発想などが息づいています。たとえば、「この地域じゃ自分の畑の下の畑は何を植えるか見とかんといかん。下の人がたばこを作ったら、じゃがいもは植えられない」って聞かされ、地域の持つ知恵のすばらしさを感じ大事にしたいと思いました。近所の人と話す、酒飲みに行かしてもらう、れいくん!と村の子どもが遊びに来る(地域を変えるにはまず子どもから!と遊んでいる)。地域のそんな恩恵を受け、僕はここで自分の存在を確認しているのだと思います。 そんな意味でも僕は農業を基本にしながらも、いろいろなことを生業にできる農民になりたい。だから、農作業だけに埋没はしたくないと思っています。それをするには農業をいちばんにしなくてはいけないということはわかっているつもりですが、まわりから見るとまだまだ甘いと言われています。 祖父母の時代は食料不足などから純粋に大量生産、いわゆる「腹を満たす」の発展であったと思います。次の父母の時代、大量生産の綻びに対し安全、安心な「食」に移り変わったように思います。そして、物と情報に満たされた僕たちの時代は、交流と理解、そして楽しみ、というところに行き着くのではないでしょうか。僕は「味わう」時代と考えています。そのことを説明すると数カ月くらいかかりそうなのですが、端折れば、みかんを盛る器、壁に掛かる絵、漂う香りと音までをひっくるめた、かっこよく言えば「明浜の汐味のするみかん」を創ること、これがいまの僕の夢です。 |
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▲園地
▲ファーマーズユニオン天歩塾のみなさん
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* 本ページの内容は2007年11月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合があります。 あらかじめご了承ください。