本文へジャンプ
ここから上部共通ナビゲーションです
パルシステムのトップへ戻る
パルシステムのトップへ戻るパルシステム加入のご案内トップページへ資料請求する(資料請求フォームが開きます)お問い合わせ一覧ページへサイトマップへ
ホーム > ニュース一覧 > ニュース
ここから本文です

ニュース 目次に戻る



掲載日:2011年4月14日

被災したポークランド、花兄園が状況を報告
避難、えさ不足…再起へがんばっています
パルシステムの産直産地で、東日本大震災の影響を受けたポークランドグループ(豚肉、秋田県)の豊下勝彦代表と花兄園(鶏卵、福島県)の大須賀木(こだち)社長が4月12日(火)、東京・文京区のパルシステム連合会本部を訪れ、被害状況などについて報告しました。

●ポークランドグループ
「飼料米でしのぐことができています」

■このままでは300人が職を失う

えさ不足でやせた子豚

 東北地方の飼料工場は多くが太平洋側の港近くに立地しており、東日本大震災ではそのほとんどが被災しました。配合飼料の供給が完全にストップすれば、家畜は食べるものを失い、生き延びることができません。それは豚を出荷できないことでもあります。当初は廃業まで考え「(関連会社を含む)300人の職員が職を失う…」という思いが頭をよぎりました。

 在庫の配合飼料は300tありました。しかし1日の使用量は120t。これでは2日分程度しかありません。1週間はエサが来ないと予測し、給餌の量を通常の3分の1にしました。不足分は飼料米を50tへ増やすことで対応し、JAおばこから毎日運んでもらうことになりました。

 それでも「今後1週間以上、配合飼料が届かなかったら」と考えると不安でした。通常の基準より体重が少なくても出荷できる豚をできるだけ出荷することも検討しました。しかし燃料がないので、自家発電や熱湯殺菌はおろか、輸送そのものもできない状態でした。

■えさの奪い合いで子豚はやせていく

ポークランド豊下社長

 使用している破砕機は粗い米粒が残ります。米粒が多いと豚は食べず、未消化でふんから出てくることも少なくないのです。さらに飼料米の配合が多いと、配合飼料と米が分離してしまいます。それでは豚は配合飼料だけ食べ、米を残すようになってしまいます。農場ではえさやりを工夫し、朝と夜は配合飼料、昼は飼料米のみ与えることにしました。

 えさやりの現場は悲惨な状況です。豚たちはえさへ一斉に群がり、弱い豚は食べられなくて死んでいく。痩せて背骨の見える子豚たちは、みなさんに見せられません。胸が締め付けられます。えさを一番必要とする時期に充分食べられないと、その後どれだけ食べても大きくなれず生きられません。

 母豚は通常、1回の出産で体重1.5kgくらいの子豚を12頭ほど出産しますが、出産間際で充分な餌を与えられなかった母豚は、1kgに満たない虚弱状態の子豚を産んだり、無事出産しても乳が出ず育てられない状態もありました。また若い母豚は自分の体が出来ていないためえさ不足による流産が多く発生しました。母豚達の、身を削りながら子豚を育てようという様子には胸が締め付けられます。

■いままでの取り組みが正しかったと確証

バイオベッドを敷きつめた豚舎

 震災から1カ月が経ち、配合飼料は新潟、群馬、九州などから届くようになりました。ただし確保できている量は1日80tで、残り40tは飼料米に頼っています。

 目に見えない母豚への影響や繁殖の状態、子豚たちの成長への影響など、震災の影響はこれから発生すると思います。出荷頭数はこれからしばらく、全体の12万頭から1万頭くらい減る見通しです。夏の計画停電が入ると空調が使えず、暑さにより死んでしまう可能性があります。問題は山積みです。

 飼料米の取り組みがなければ3分の2は死んだかもしれません。健康な豚の飼育を目的に取り入れていたバイオベッド(※)も、豚が強く育ち、立ち直りが早いという効果がありました。辛い思いをしましたが、震災を通じて「今までやってきたことが正しかった」という確証を得ることができました。

 後ろ向きでいるだけではいきませんので、確証を得たこの技術を使い、計画通り新農場を立ち上げます。あわせて耕畜連携を目的とした野菜づくりのため、開墾を予定しています。農場全体で被災地の人を雇用できるようなことができればと考えています。原発事故の影響で農業ができなくなった人たちに参加してもらえれば、私たちの勉強にもなります。パルシステムには、参加の呼びかけなどをお願いしたいと思います。

※バイオベッド
豚のふん尿やもみ殻、おがくずを混ぜ、微生物や熱などで発酵させたもの。豚舎に敷きつめることでコンクリートや金属と異なり、豚は穴を掘ったりして遊べるため、ストレスを軽減することができる。


●花兄園
「農場にはもどれないけれど再起します」

■避難所で初めて聞かされた原発事故

花兄園大須賀社長

 農場の1つである福島県の大熊農場は、事故が発生した福島第一原子力発電所から1.8kmにあり、現在も立ち入り禁止区域です。地震発生時、津波の危険があったため職員20名は高台に位置する農場へ避難しました。間もなく地域に避難勧告が出され、車も乗り合わせて避難しました。そのときは、すぐ戻れると思っていました。

 それが翌朝「西に逃げろ」と言われ、その後あちこちたらいまわしされた末に落ち着いた田村市で、初めて原発事故を知らされました。自宅へ戻れないことを初めて知ったのです。

■取引再開を約束してくれありがたい

 農場には、11万羽のたまごを産む鶏と、採卵したたまご5トンを積んだトラックなどを放置したまま、自宅に帰る時間もありませんでした。地震後は1度も帰れていません。おそらく鶏はみな餓死していると思います。

 大熊農場にはおそらく戻れないでしょう。放棄するしかありません。それ以外の宮城と岩手の農場でも、えさ不足による餓死や停電で採卵できない事態が発生しました。しかし、なんとか立て直しに向け動いています。

 生産者にとっていちばん大きな問題は、販売先を失うことです。パルシステムは「生産が回復したら取引再開しましょう」と約束してくれました。たいへんありがたく感じています。みなさんに迷惑をかけないよう、1日も早く生産を再開していきたいと思います。




このページの上へ戻る